美容室でレシートビリビリ
公開 2026/03/31 20:46
最終更新
2026/03/31 22:28
お昼に、昨日シール付きで買ったおぼろ豆腐をうんまうんま言いながら食べ、冷凍しておいたちらし寿司もむっしゃむっしゃ食べ、満腹になったところで、美容室に向かった。
美容室には必ず本を持っていく。基本的に美容師さんとずっと喋っているが、カラーリングの待ち時間にぽつんと残されるため、読む物が必要となる。電子雑誌は置いてあるが、重いし、目が悪いので自分で紙の本を持っていくのがベストとなる。
最近、エッセイを中心に何冊か併読している。どれも面白く、その中から1冊選んで持っていけばいい。しかし、外出先でのエッセイ読書は、私の心がもたない。すぐ飽きてしまう。1つ1つが短いので、1つ終わるその度に集中が切れるからではないかと自分研究者として分析している。一回切れた集中は、別の本でまたつなぐことはできる。だからといって、併読の本を何冊も持ち歩くのは、ビル・ゲイツか又吉直樹くらいだろう。(もっといるか・笑)凡人はせいぜい2冊である。(私調べ)
今日は天気も悪いので、1冊に絞りたい。となると、めちゃくちゃおもしろい小説でなければならない。たった1冊なのにノットフォーミーなものを持って行った日には、読む物がなく、スマホをいじって時間をつぶすようになる。それは避けたい。だって、後ろから見えて恥ずかしいじゃないか。皆気にしないのだろうか。そういえば、待合室にいたサラリーマン風のオジサンはゲームをやっていた。すごい勢いで指を動かしていて、Gに遭遇してもサクッと仕留めることができる動体視力と指の力を鍛えているのではないかと思う。(ないな)
電車に乗ったりすると、あっちもこっちも皆スマホをみている。横から見えてますよといつも心の中でつぶやいている。見ているスマホを見られるのは、脳内のぞかれているような気がしてちょっと恥ずかしい気がするのは、私だけだろうか。本も同じでしょ?はい。同じです。だから、カバーをします。自意識人間、カバー無しでは本を持ち歩けません。でも本は、ちょっと覗いたくらいじゃどんな本なのかわからない。よっぽど図や絵のあるものでなければ、殆どが文字がズラッと並んでいるだけだ。何を読んでいてもばれないのである。素晴らしいじゃないか。
さて、おととい間埜心響の「25時のブラッディーマリー」を読み終えてしまったので、出掛けにあわてて探すことになった。時間もなかったので、パッと積読の棚から目にとまったものを抜き取って持って行った。
歌を作るようになって、比喩というものが私の中に皆無であるということを思い知った。AIの見本を見ると、時々よくわからんものもあるが、比喩にほーと驚かされる。しかし、私には刺さらない。(自分は思いつかないくせに偉そうだが)東大合格の頭脳であろうとも、三浦しをんのものにはかなわないと個人的に思っている。きれいでつるんとしたものより、個性のある言葉の方が心に残るものだと思う。
そう、今日持って行ったものは三浦しをんである。始まって2ページでかっこいい比喩きた!これをいつかパクってやろうという野望を持ってレシートをビリビリとちぎってはさんだ。ちょっと読んではちぎってはさんだ。比喩を探すために読んでいると言っても過言ではない。ということはさすがにないが、三浦しをんの比喩はいいぞ、まじで。三浦しをんの比喩をひとりマスクの下でニヤニヤしながら読んでいたのである、レシートちぎりながら。もちろんストーリーも最高におもしろいが。
ー令和8年3月31日(火)
持って行った本:『まほろ駅前多田便利軒』
美容室には必ず本を持っていく。基本的に美容師さんとずっと喋っているが、カラーリングの待ち時間にぽつんと残されるため、読む物が必要となる。電子雑誌は置いてあるが、重いし、目が悪いので自分で紙の本を持っていくのがベストとなる。
最近、エッセイを中心に何冊か併読している。どれも面白く、その中から1冊選んで持っていけばいい。しかし、外出先でのエッセイ読書は、私の心がもたない。すぐ飽きてしまう。1つ1つが短いので、1つ終わるその度に集中が切れるからではないかと自分研究者として分析している。一回切れた集中は、別の本でまたつなぐことはできる。だからといって、併読の本を何冊も持ち歩くのは、ビル・ゲイツか又吉直樹くらいだろう。(もっといるか・笑)凡人はせいぜい2冊である。(私調べ)
今日は天気も悪いので、1冊に絞りたい。となると、めちゃくちゃおもしろい小説でなければならない。たった1冊なのにノットフォーミーなものを持って行った日には、読む物がなく、スマホをいじって時間をつぶすようになる。それは避けたい。だって、後ろから見えて恥ずかしいじゃないか。皆気にしないのだろうか。そういえば、待合室にいたサラリーマン風のオジサンはゲームをやっていた。すごい勢いで指を動かしていて、Gに遭遇してもサクッと仕留めることができる動体視力と指の力を鍛えているのではないかと思う。(ないな)
電車に乗ったりすると、あっちもこっちも皆スマホをみている。横から見えてますよといつも心の中でつぶやいている。見ているスマホを見られるのは、脳内のぞかれているような気がしてちょっと恥ずかしい気がするのは、私だけだろうか。本も同じでしょ?はい。同じです。だから、カバーをします。自意識人間、カバー無しでは本を持ち歩けません。でも本は、ちょっと覗いたくらいじゃどんな本なのかわからない。よっぽど図や絵のあるものでなければ、殆どが文字がズラッと並んでいるだけだ。何を読んでいてもばれないのである。素晴らしいじゃないか。
さて、おととい間埜心響の「25時のブラッディーマリー」を読み終えてしまったので、出掛けにあわてて探すことになった。時間もなかったので、パッと積読の棚から目にとまったものを抜き取って持って行った。
歌を作るようになって、比喩というものが私の中に皆無であるということを思い知った。AIの見本を見ると、時々よくわからんものもあるが、比喩にほーと驚かされる。しかし、私には刺さらない。(自分は思いつかないくせに偉そうだが)東大合格の頭脳であろうとも、三浦しをんのものにはかなわないと個人的に思っている。きれいでつるんとしたものより、個性のある言葉の方が心に残るものだと思う。
そう、今日持って行ったものは三浦しをんである。始まって2ページでかっこいい比喩きた!これをいつかパクってやろうという野望を持ってレシートをビリビリとちぎってはさんだ。ちょっと読んではちぎってはさんだ。比喩を探すために読んでいると言っても過言ではない。ということはさすがにないが、三浦しをんの比喩はいいぞ、まじで。三浦しをんの比喩をひとりマスクの下でニヤニヤしながら読んでいたのである、レシートちぎりながら。もちろんストーリーも最高におもしろいが。
ー令和8年3月31日(火)
持って行った本:『まほろ駅前多田便利軒』
