現パロ俳優ジェフティナ2話前編
公開 2024/01/27 19:26
最終更新
2024/01/27 19:27
SOMEHOW
花冷えの土曜日だ。
朝から降り出した雨は午後になっても止む気配はなく、カフェ『ファルコン』の大窓の庇からも絶え間なく雨粒が滑り落ちている。
通常、土曜日の午後となるとショッピングの合間に立ち寄る客でそこそこ賑わうものだが、今日は一時間に一組来るかどうかの寂しい客入りだ。そもそも、店の前の通りを歩く人影すら滅多に現れない。
「土曜日なのにこんな暇ってマズイんじゃない?リルムは絵の練習できるから助かるけどさ」
ファルコンのスタッフ用エプロンを着ておきながら堂々と窓際のテーブル席に座り、鉛筆を片手にデッサンに勤しんでいるのは、週末限定でファルコンの手伝いに来ているリルムだ。
彼女は都心の小学校に通う四年生なのだが、週末は美大の予備校のジュニア科にも通う絵描きの卵でもある。
美大の講師である彼女の親戚―――ストラゴスという陽気なご老人だ―――がダリルの昔馴染みで、リルムの社会勉強の為に週末だけファルコンの手伝いに寄越しているという事らしい。
小学生のうちからこんな過密スケジュールで大丈夫なのか?と訊ねたところ、当の本人は、
『ヨビコーのワークショップは不定期で毎週末あるわけじゃないし、ファルコンでお手伝いするのは息抜きに丁度いいの。色んな人の表情を見たり、こっそりお喋り聞くのもお勉強になるんだよ』
…と、実にあっけらかんとしたものだった。
何ともタフなものだと感心してしまう。
「ところでリルム、イヤホンの調子はどうだー?」
「とっても良い感じ!買って貰ったばっかなのに聞こえなくなって凹んでたから助かったよ。ありがとね、フィガロ兄弟」
カウンター席で寛いでいたマッシュが訊ねると、リルムはこちらに向かって親指を立てた。
「そいつは良かったな!実際兄貴がほとんど一人で直しちまったんだよ。本当に良い仕事するよな」
「接触が悪かったところを少しいじっただけさ。でも、次また調子が悪くなったら面倒臭がらずに店に持って行くんだよ」
「ハーイ」
調子良く応えてスケッチブックに向き直るリルムの背を見て、マッシュがよしよしと頷く。
当のマッシュは今日の仕事は夕方からとのことで、出勤前の一服に立ち寄ってくれたのだ。
「それで、マッシュ。アンタのとこは、ベクタ総業との付き合いは多いの?」
カウンター脇のサイドテーブルに置かれたノートパソコンから視線だけを上げ、ダリルが訊ねた。パソコン画面は中古本の販売サイトを映している。
マッシュは全然ですよと、顔の前で手を振った。
「以前は頻繁に撮影の仕事も頼まれてたみたいですけどね。最近はいかがわしい写真だの動画編集だの、依頼があるのはそういう仕事ばっか。ギャラの支払いは悪いくせに社員連中はやたらに高圧的だし、もうおっしょうさんもお冠ですよ」
二年前、俺と一緒に都心に出てきたマッシュは、親父の勧めで『スタジオダンカン』という大手の技術会社に就職した。
映像制作や音響、撮影全般を請け負うこの会社でしっかり腕を磨いて、ゆくゆくは地元で親父の個人会社『Pro.フィガロ』を引き継ぐ―――
それが、マッシュの目標だ。
マッシュがおっしょうさんと慕うダンカン社長は映画を撮らせてもドキュメンタリーを撮らせても超一流の、業界で唯一無二の技術職人である。
「そんなわけで、あんな事務所とは絶対付き合うなって出禁状態。ウチ以外の同業の会社も、ベクタとは手を切ったって。あの会社自体、もう芸能事務所というよりほとんど反社の持ち物と化してるらしいですからね…」
「噂通りの凄い評判ってわけ…。全く、どうしてそんな危ない事務所なんかにいるのかしらね、アンタの大好きなティナ・Bは」
ダリルが人差し指をちょいちょいと動かし、俺を呼ぶ。
隣に行ってみると、ダリルが閲覧していた中古本販売サイトに一冊の写真集が表示されていた。
「…オーナー。これってもしかして」
「そ。一昨日、あのケフカってヤツが言ってた写真集。ひと山いくらの女の子たちとティナ・Bが出てるっていう…」
一昨日、ここでケフカがティナにグラビアの仕事を強要していた時に話に出てきた写真集だ。
商品詳細の欄を見ると、発売されたのは三年前らしい。
「とっくに絶版になってて、今出回ってるのは中古本だけ。まあ、言っちゃ何だけど随分とお粗末な出来映えみたいね」
表紙に映っている水着のモデルは十人程度。
それぞれにとびきりの笑顔で写ってはいるものの、全体的に誰をメインに据えているのか良く分からない構図で、安っぽいタイトルロゴ、明らかに合成の砂浜の背景など、お世辞にも売れそうには見えない―――
いや、はっきり言って低予算丸出しのやっつけ仕事だ。
おそらく購買層はそれぞれのモデルの固定ファンだろうが、早々と絶版にされてしまっては彼女たちの小遣い稼ぎにすらなっていないのだろう。
「…こんな写真集に、ティナが…?」
「一応、出演モデル一覧にティナの名前は載ってるけど―――
もしかして、このページじゃない?」
ダリルがサンプルページの最後をクリックすると、やはり合成背景らしきプールサイドに寝そべる若いモデルたちが写っている写真が現れた。
拡大して良く見ると、彼女たちの後方、横向きの立ち姿でこちらに視線だけ向けているモデルがいる。他のモデルと違って前面に映っているわけでも、満面の笑顔を見せているわけでもないのだが、彼女だけ明らかに違った。
ただ佇んでいるだけなのに、まるで異次元の美貌を感じさせる彼女。
―――ティナだ。間違いない。
「ひどい写真。ティナを無理やり参加させておいて、こんなクオリティなんて」
ダリルがきっぱりと言い切った通り、写真の中のティナの表情にはまるで生気が感じられなかった。
口元は僅かに微笑んでいるものの、濃い紅色の水着姿の彼女の眼には笑顔どころか光さえも映っていない。
かつて誰よりも眩しく輝いていたティナ・Bの二十代後半の姿と思うと、何ともやりきれない気持ちにもなる。
「この女の子たちだって、何かのチャンスが掴める事を期待してモデルになったんでしょうにね。こんなろくでもない仕事、嫌がって当然だわ」
「オーナー。この写真集、幾らになってますか」
「ええ?こんなの欲しいの、アンタ」
「在庫数が残り一冊だ。さっさと完売させて、こんなページは消させるべきです!ティナ・Bの汚点ですよ、こんなの!」
それは間違いなく、俺の本音だ。
だが偽りのない本音はもうひとつある。
やっぱり、ティナは綺麗だと思ったのだ。
安っぽい写真の中、目立たないポジションで佇んでいるだけなのに、それでもティナ・Bの存在感は霞んではいなかった。
輝く笑顔を吹き消してしまっていてもなお、ティナは美しかった。
仮に映っているのがこのページだけだったとしても、やっぱり、手に入れておきたかった。
これは我ながらどうしようもないサガなのだろう。
「気持ちは分からないでもないけど、ちょっと買うのは難しいんじゃない?値段、七万ギルになってるわよ!」
「ななまん!?」
カウンター席のマッシュが、一口含んだ紅茶を吹き出した。
ダリルが指差す画面を覗き込むと、間違いなく商品価格は七万ギル。送料別。俺はふざけるなと罵って、額を抑えた。
状態良好美品だの、絶版につき激レアタイトルだの言い訳のような高値の理由が記載されてはいるが、どう見てもこれはぼったくりである。
「やめときなさい。こんな悪質業者に儲けさせてやることないわ」
「そうですね…。ああ、酷い話だ。オーナー、俺に何かできることは無いのかな」
「…何よ、できることって」
「こうしている間にもまた、ティナはあのケフカとか言う煩い男に暴言を吐かれているかもしれない。グラビアの仕事も無理やり押し付けられて、まさか本当に、本当に、ヌードになったりなんかしたら…!」
「落ち着けよ兄貴!包丁掴んだまま興奮するなっての、兄貴!」
マッシュに大声で言われて初めて、俺は包丁を握り締めていたことに気が付いた。シンク横にある水切り用の刃物スタンドに無意識に手が伸びていたらしい。全く、我ながら何をしているんだか…。
大丈夫かしらこの子、とダリルがぼやくのを聞きながら、俺は身を屈めてシンク下の収納に包丁を仕舞った。
頭上でドアベルが遠慮がちに鳴ったのは、その時である。
どうやら久方ぶりのお客様らしい。
「いらっしゃいませー!何名さま?ハイハイ、一名さまね。見ての通りガラガラだから、お好きなお席どうぞー」
「リルム!座ったまま挨拶しないで!
―――失礼しましたお客様、お席は……あらっ?」
リルムを諌めながらカウンターを飛び出したダリルが、ぴたりと足を止める。
何事だろうと頭を上げた俺も、入り口へ振り向いたマッシュも、瞬間、フリーズした。
そこにいたのは件の女優、ティナ・B本人であった。
雨は、いつの間にか上がっていた。
▽
ファルコンは、急遽入り口に『本日貸切』の札を下げた。
何しろティナは、変装はもちろん、サングラスもマスクもせずに一人でやって来たのだ。
服装は淡いベージュのワンピースという控えめな出立ちではあったが、万が一事情を知らない一般人がやって来たら何かと厄介になる―――
―――ダリルは即座にそう判断し、リルムに貸切の札を掛けさせたのだ。
俺はひとまずテーブル席に落ち着いたティナに紅茶を届けると、小さく「ありがとうございます」とお礼が聞こえた。
…透き通るような、可愛らしい声だ。
「一昨日は、大変申し訳ございませんでした。お店の皆さんにもご迷惑をお掛けして…」
深々と頭を下げるティナに、向かいの席に座ったダリルが朗らかに応える。
「私たちに謝ることなんてないわ、こっちは何も迷惑なんかしちゃいないんだから」
カウンター席に座っていたマッシュも何となくティナと同じテーブル席に移り、リルムはちらちらとこちらを伺いながらティナのスケッチを始めている。
ちゃっかりティナにモデルの依頼を取り付けた未来の天才画家は、「こんなに雰囲気のある女のヒト、初めて。キレイ…」と嘆息しながらサラサラとデッサンを進めていた。
俺はカウンターで自分とダリル用のコーヒーをサイフォンしながら、テーブル席の会話に耳を傾けた。
「それよりも、あなたがあの後どうなったのかしらって皆んなで心配していたのよ。…ねえ、もしかしてそのお顔…」
やおらダリルが身を乗り出し、テーブル越しにティナの左頬に触れた。
長い後れ毛をそっと指で流すと、左耳の手前に痛々しい痣が見える。マッシュもリルムもその一瞬、表情を強張らせた。
「…エドガー。救急箱持ってきて」
「オーケー」
「あ…大丈夫です、腫れはもう引いてるし、痛みもそれほど…」
「だからってそのままにしてたら痕が残っちゃうわよ。もうしばらくはカバーしておかなくちゃ」
バックカウンターの収納棚から取り出した救急箱をダリルに渡す。ダリルは手早く取り出したガーゼをカットして、ティナの痣がじゅうぶん隠れるように左頬に被せた。
「テープは小さめに貼っておくから。今日一日はひとまず…ね」
「はい…。ごめんなさい、却ってお手間を…」
「一昨日ですか。ここから出た後に、あの男に殴られたんですか?」
自分とダリル用のコーヒーをテーブルに置き、俺は思い切ってティナに訊ねた。
「ええ…。ケフカさん…私のマネージャーなんですけど、昔気質の人で熱くなりやすくて」
「だからって所属タレントの顔を殴るなんて、どう考えても普通じゃないわ。暴力は暴力」
「サイテー。万死だね」
鉛筆を動かしたまま、リルムが口を挟む。
特に諌めることはせず、ダリルは続けた。
「立ち入ったことを言わせて頂くけれど、あんな男がいるような事務所なんか離れた方が良いと思うわ。もっとはっきり言うなら、あなたベクタに移籍してからロクな仕事もさせて貰ってないんじゃない?挙げ句の果てに、あんなマネージャーにべったり張り付かれてるんじゃ…」
そうだ。
やはり、あの事務所の移籍が女優ティナ・Bのターニングポイントだ。
人気絶頂のタイミングで、業界最大手のベクタへ移籍―――
普通なら益々活躍の場は増え、ともすれば海外進出だって有り得た筈だ。
だが現実は真逆だった。
ベクタ総業は、ティナを囲うだけ囲ってロクな仕事もさせず、ほとんど飼い殺しにしていたのだ。
「悪いことは言わないから、一日も早く辞めるべきよ。あなた確か、まだ二十七歳でしょう?女優としてもこれからうんと活躍できる歳だし―――」
「いえ…良いんです。実は私…女優業はもう引退するつもりだから」
「ええっ!?」
予想外のティナの言葉に、一同が声を挙げて驚いた。
ティナは視線をテーブルの下に落とし、やはりすまなさそうに続ける。
「ケフカさんに叩かれてしまったのも、このことを相談した時なんです。一昨日、このお店から事務所に戻った後に…やっぱり私には、グラビアのお仕事は難しいと。そういうお仕事しか頂けないようなら、いっそ女優は引退させて貰って、別の形で働かせて欲しいということをお願いして…。なかなか承諾して貰えなくて、それでケフカさんと口論になったんです」
俺には分かる。
きっと、それは口論などではなかったのだ。
あのケフカという男はティナの申し出には一切耳を貸さず、怒りのままに手を挙げただけだ。
あの男は完全にティナをモノの様に扱っている。
所有物が言うことを聞かずに癇癪を起こした―――
そんな風にしか思えない。
「口論ねえ…。でも、別の形で働くってどういう仕事なの?事務とか営業とか、そういうこと?」
「いえ。ベクタ総業さんには、懇意にしている飲食店が幾つかあるんです。ガストラ社長が経営されている会員制のラウンジもあって、私も今まで何度かそちらでお仕事させて頂いたこともありましたから。今後は、そういったお仕事に専念できれば」
落ち目の芸能事務所、それも反社との関わりもある会社の息が掛かった飲食店。
社長自ら手を付けている会員制のラウンジで働く所属女優―――
ここから連想されるものは、どう考えてもカタギの仕事ではない。
「それって夜のお商売ってこと!?ダメよ、そんなの!スケベなジジイに良いようにされちゃうんだ!絶対ダメ!」
「十歳のくせに何でそんなこと知ってんだよ…」
突然怒り出したリルムをマッシュが宥めた。
俺もリルムと同じ気持ちだ。
女優であろうとそうでなかろうと、結局ベクタ総業という会社はこの美しい人をろくでもない仕事でこき使おうとしている。
許せない。
到底許すことなどできない。
「どうして、そこまでベクタに拘るの?そんなの、あなたの為には―――」
「そうですよ…そうだ。やっぱりダメですよ、そんなの!」
ダリルの質問を遮り、俺はティナに向かってはっきりと言った。
驚き目を丸くするティナにうっかり見惚れてしまいそうな気持ちをどうにか抑え、深呼吸する。
思いの丈をぶつけるしかない、なぜかそう直感した。
「あなたほどの才能がある人が、そんな会社のせいで女優を辞めるなんて納得できません。十年前、テレビの向こうで活躍するあなたに憧れて、俺は夢を持てた。いつかあなたと同じ世界で仕事がしてみたい、その一心で今日までやって来たんです!なのに、こんな形で引退するなんて……そんなの理不尽だ。有り得ない!」
一度言い出したら止まらなかった。
俺は席を立ち、呆気に取られるティナの側に歩み寄り彼女の手を両手でしっかりと握りしめた。
「お願いです、どうか…引退なんか考えないでください。女優ティナ・Bがまた活躍する姿を楽しみに待っているファンがいるんです!俺は待ちます、いつまででも待ちます!」
場は静まり返っていた。
誰も、何も言わなかった。
俺は我に返り、力一杯握り締めていたティナの手を慌てて放した。
「す、すみません!俺…」
「…いえ……」
戸惑うティナの顔を、もう直視することなどできない。
とんでもない事を言ってしまった。途中から話せば話すほど訳がわからなくなって、とても恥ずかしいことばかり言ってしまった気がする。
「…お熱いね…。熱いのはエドガーだけだけど……」
「うーん、こんなに暴走した兄貴は初めて見たぜ。せめてティナさんの事情をもう少し聞いてから言うべきだったよな」
リルムとマッシュの聞こえよがしなヒソヒソ話が心底恨めしい。反省会は良いから、何か別の話題を振ってくれないか…
「―――オーケイ、今日はもう店閉めるわ!」
ダリルがぽんと手を打ち、朗らかに言った。
それはとんでもなく居た堪れない空気を変えてくれる、救いの助け舟だ。…もちろん、それは馬鹿な俺の為じゃないことは分かっているけれども。
「親睦会しましょ。ねえティナさん、あなたもあんな陰気な事務所で暴力男に張り付かれてたら、息抜きも満足に出来てないんじゃない?」
「それは……そうですね…本当に。お恥ずかしい話ですが…」
「やっぱり。ろくでもない職場環境で一人ぼっちで考え込んでしまうと、良い答えなんて出せないものよ。ちょっと気分転換しましょう」
ダリルは言いながら、カウンターに置かれた店の電話の子機を掴んで番号をプッシュし始めた。
「私の昔馴染みを二人くらい呼ぶけど、口は硬い奴らだから心配しないで。あんまり建設的な話はできないかもしれないけれど、気晴らしにはなる筈よ」
▽
本当に、ダリルは電話を切った後すぐにファルコンを閉めてしまった。
入り口のガラス扉に下げいていた『本日貸切』の札を『closed』に取り替え、大窓のブラインドも下げた。
時刻は四時すぎ。
そろそろ仕事だからと中座したマッシュは、帰ったら話の続きを頼むよと俺に耳打ちして出て行った。
自分は残ると張り切っていたリルムだったが、いつのも四時半に迎えに来たストラゴスに首根っこを掴まれクソジジイと暴言を吐き散らしながら結局退場した。
ダリルが電話で呼びつけた二人の男は、それから一時間もせずにファルコンに現れた。
ロック・コールとセッツァー・ギャビアーニ。
二人とも、ダリルと長い付き合いのある業界人である。
▽
花冷えの土曜日だ。
朝から降り出した雨は午後になっても止む気配はなく、カフェ『ファルコン』の大窓の庇からも絶え間なく雨粒が滑り落ちている。
通常、土曜日の午後となるとショッピングの合間に立ち寄る客でそこそこ賑わうものだが、今日は一時間に一組来るかどうかの寂しい客入りだ。そもそも、店の前の通りを歩く人影すら滅多に現れない。
「土曜日なのにこんな暇ってマズイんじゃない?リルムは絵の練習できるから助かるけどさ」
ファルコンのスタッフ用エプロンを着ておきながら堂々と窓際のテーブル席に座り、鉛筆を片手にデッサンに勤しんでいるのは、週末限定でファルコンの手伝いに来ているリルムだ。
彼女は都心の小学校に通う四年生なのだが、週末は美大の予備校のジュニア科にも通う絵描きの卵でもある。
美大の講師である彼女の親戚―――ストラゴスという陽気なご老人だ―――がダリルの昔馴染みで、リルムの社会勉強の為に週末だけファルコンの手伝いに寄越しているという事らしい。
小学生のうちからこんな過密スケジュールで大丈夫なのか?と訊ねたところ、当の本人は、
『ヨビコーのワークショップは不定期で毎週末あるわけじゃないし、ファルコンでお手伝いするのは息抜きに丁度いいの。色んな人の表情を見たり、こっそりお喋り聞くのもお勉強になるんだよ』
…と、実にあっけらかんとしたものだった。
何ともタフなものだと感心してしまう。
「ところでリルム、イヤホンの調子はどうだー?」
「とっても良い感じ!買って貰ったばっかなのに聞こえなくなって凹んでたから助かったよ。ありがとね、フィガロ兄弟」
カウンター席で寛いでいたマッシュが訊ねると、リルムはこちらに向かって親指を立てた。
「そいつは良かったな!実際兄貴がほとんど一人で直しちまったんだよ。本当に良い仕事するよな」
「接触が悪かったところを少しいじっただけさ。でも、次また調子が悪くなったら面倒臭がらずに店に持って行くんだよ」
「ハーイ」
調子良く応えてスケッチブックに向き直るリルムの背を見て、マッシュがよしよしと頷く。
当のマッシュは今日の仕事は夕方からとのことで、出勤前の一服に立ち寄ってくれたのだ。
「それで、マッシュ。アンタのとこは、ベクタ総業との付き合いは多いの?」
カウンター脇のサイドテーブルに置かれたノートパソコンから視線だけを上げ、ダリルが訊ねた。パソコン画面は中古本の販売サイトを映している。
マッシュは全然ですよと、顔の前で手を振った。
「以前は頻繁に撮影の仕事も頼まれてたみたいですけどね。最近はいかがわしい写真だの動画編集だの、依頼があるのはそういう仕事ばっか。ギャラの支払いは悪いくせに社員連中はやたらに高圧的だし、もうおっしょうさんもお冠ですよ」
二年前、俺と一緒に都心に出てきたマッシュは、親父の勧めで『スタジオダンカン』という大手の技術会社に就職した。
映像制作や音響、撮影全般を請け負うこの会社でしっかり腕を磨いて、ゆくゆくは地元で親父の個人会社『Pro.フィガロ』を引き継ぐ―――
それが、マッシュの目標だ。
マッシュがおっしょうさんと慕うダンカン社長は映画を撮らせてもドキュメンタリーを撮らせても超一流の、業界で唯一無二の技術職人である。
「そんなわけで、あんな事務所とは絶対付き合うなって出禁状態。ウチ以外の同業の会社も、ベクタとは手を切ったって。あの会社自体、もう芸能事務所というよりほとんど反社の持ち物と化してるらしいですからね…」
「噂通りの凄い評判ってわけ…。全く、どうしてそんな危ない事務所なんかにいるのかしらね、アンタの大好きなティナ・Bは」
ダリルが人差し指をちょいちょいと動かし、俺を呼ぶ。
隣に行ってみると、ダリルが閲覧していた中古本販売サイトに一冊の写真集が表示されていた。
「…オーナー。これってもしかして」
「そ。一昨日、あのケフカってヤツが言ってた写真集。ひと山いくらの女の子たちとティナ・Bが出てるっていう…」
一昨日、ここでケフカがティナにグラビアの仕事を強要していた時に話に出てきた写真集だ。
商品詳細の欄を見ると、発売されたのは三年前らしい。
「とっくに絶版になってて、今出回ってるのは中古本だけ。まあ、言っちゃ何だけど随分とお粗末な出来映えみたいね」
表紙に映っている水着のモデルは十人程度。
それぞれにとびきりの笑顔で写ってはいるものの、全体的に誰をメインに据えているのか良く分からない構図で、安っぽいタイトルロゴ、明らかに合成の砂浜の背景など、お世辞にも売れそうには見えない―――
いや、はっきり言って低予算丸出しのやっつけ仕事だ。
おそらく購買層はそれぞれのモデルの固定ファンだろうが、早々と絶版にされてしまっては彼女たちの小遣い稼ぎにすらなっていないのだろう。
「…こんな写真集に、ティナが…?」
「一応、出演モデル一覧にティナの名前は載ってるけど―――
もしかして、このページじゃない?」
ダリルがサンプルページの最後をクリックすると、やはり合成背景らしきプールサイドに寝そべる若いモデルたちが写っている写真が現れた。
拡大して良く見ると、彼女たちの後方、横向きの立ち姿でこちらに視線だけ向けているモデルがいる。他のモデルと違って前面に映っているわけでも、満面の笑顔を見せているわけでもないのだが、彼女だけ明らかに違った。
ただ佇んでいるだけなのに、まるで異次元の美貌を感じさせる彼女。
―――ティナだ。間違いない。
「ひどい写真。ティナを無理やり参加させておいて、こんなクオリティなんて」
ダリルがきっぱりと言い切った通り、写真の中のティナの表情にはまるで生気が感じられなかった。
口元は僅かに微笑んでいるものの、濃い紅色の水着姿の彼女の眼には笑顔どころか光さえも映っていない。
かつて誰よりも眩しく輝いていたティナ・Bの二十代後半の姿と思うと、何ともやりきれない気持ちにもなる。
「この女の子たちだって、何かのチャンスが掴める事を期待してモデルになったんでしょうにね。こんなろくでもない仕事、嫌がって当然だわ」
「オーナー。この写真集、幾らになってますか」
「ええ?こんなの欲しいの、アンタ」
「在庫数が残り一冊だ。さっさと完売させて、こんなページは消させるべきです!ティナ・Bの汚点ですよ、こんなの!」
それは間違いなく、俺の本音だ。
だが偽りのない本音はもうひとつある。
やっぱり、ティナは綺麗だと思ったのだ。
安っぽい写真の中、目立たないポジションで佇んでいるだけなのに、それでもティナ・Bの存在感は霞んではいなかった。
輝く笑顔を吹き消してしまっていてもなお、ティナは美しかった。
仮に映っているのがこのページだけだったとしても、やっぱり、手に入れておきたかった。
これは我ながらどうしようもないサガなのだろう。
「気持ちは分からないでもないけど、ちょっと買うのは難しいんじゃない?値段、七万ギルになってるわよ!」
「ななまん!?」
カウンター席のマッシュが、一口含んだ紅茶を吹き出した。
ダリルが指差す画面を覗き込むと、間違いなく商品価格は七万ギル。送料別。俺はふざけるなと罵って、額を抑えた。
状態良好美品だの、絶版につき激レアタイトルだの言い訳のような高値の理由が記載されてはいるが、どう見てもこれはぼったくりである。
「やめときなさい。こんな悪質業者に儲けさせてやることないわ」
「そうですね…。ああ、酷い話だ。オーナー、俺に何かできることは無いのかな」
「…何よ、できることって」
「こうしている間にもまた、ティナはあのケフカとか言う煩い男に暴言を吐かれているかもしれない。グラビアの仕事も無理やり押し付けられて、まさか本当に、本当に、ヌードになったりなんかしたら…!」
「落ち着けよ兄貴!包丁掴んだまま興奮するなっての、兄貴!」
マッシュに大声で言われて初めて、俺は包丁を握り締めていたことに気が付いた。シンク横にある水切り用の刃物スタンドに無意識に手が伸びていたらしい。全く、我ながら何をしているんだか…。
大丈夫かしらこの子、とダリルがぼやくのを聞きながら、俺は身を屈めてシンク下の収納に包丁を仕舞った。
頭上でドアベルが遠慮がちに鳴ったのは、その時である。
どうやら久方ぶりのお客様らしい。
「いらっしゃいませー!何名さま?ハイハイ、一名さまね。見ての通りガラガラだから、お好きなお席どうぞー」
「リルム!座ったまま挨拶しないで!
―――失礼しましたお客様、お席は……あらっ?」
リルムを諌めながらカウンターを飛び出したダリルが、ぴたりと足を止める。
何事だろうと頭を上げた俺も、入り口へ振り向いたマッシュも、瞬間、フリーズした。
そこにいたのは件の女優、ティナ・B本人であった。
雨は、いつの間にか上がっていた。
▽
ファルコンは、急遽入り口に『本日貸切』の札を下げた。
何しろティナは、変装はもちろん、サングラスもマスクもせずに一人でやって来たのだ。
服装は淡いベージュのワンピースという控えめな出立ちではあったが、万が一事情を知らない一般人がやって来たら何かと厄介になる―――
―――ダリルは即座にそう判断し、リルムに貸切の札を掛けさせたのだ。
俺はひとまずテーブル席に落ち着いたティナに紅茶を届けると、小さく「ありがとうございます」とお礼が聞こえた。
…透き通るような、可愛らしい声だ。
「一昨日は、大変申し訳ございませんでした。お店の皆さんにもご迷惑をお掛けして…」
深々と頭を下げるティナに、向かいの席に座ったダリルが朗らかに応える。
「私たちに謝ることなんてないわ、こっちは何も迷惑なんかしちゃいないんだから」
カウンター席に座っていたマッシュも何となくティナと同じテーブル席に移り、リルムはちらちらとこちらを伺いながらティナのスケッチを始めている。
ちゃっかりティナにモデルの依頼を取り付けた未来の天才画家は、「こんなに雰囲気のある女のヒト、初めて。キレイ…」と嘆息しながらサラサラとデッサンを進めていた。
俺はカウンターで自分とダリル用のコーヒーをサイフォンしながら、テーブル席の会話に耳を傾けた。
「それよりも、あなたがあの後どうなったのかしらって皆んなで心配していたのよ。…ねえ、もしかしてそのお顔…」
やおらダリルが身を乗り出し、テーブル越しにティナの左頬に触れた。
長い後れ毛をそっと指で流すと、左耳の手前に痛々しい痣が見える。マッシュもリルムもその一瞬、表情を強張らせた。
「…エドガー。救急箱持ってきて」
「オーケー」
「あ…大丈夫です、腫れはもう引いてるし、痛みもそれほど…」
「だからってそのままにしてたら痕が残っちゃうわよ。もうしばらくはカバーしておかなくちゃ」
バックカウンターの収納棚から取り出した救急箱をダリルに渡す。ダリルは手早く取り出したガーゼをカットして、ティナの痣がじゅうぶん隠れるように左頬に被せた。
「テープは小さめに貼っておくから。今日一日はひとまず…ね」
「はい…。ごめんなさい、却ってお手間を…」
「一昨日ですか。ここから出た後に、あの男に殴られたんですか?」
自分とダリル用のコーヒーをテーブルに置き、俺は思い切ってティナに訊ねた。
「ええ…。ケフカさん…私のマネージャーなんですけど、昔気質の人で熱くなりやすくて」
「だからって所属タレントの顔を殴るなんて、どう考えても普通じゃないわ。暴力は暴力」
「サイテー。万死だね」
鉛筆を動かしたまま、リルムが口を挟む。
特に諌めることはせず、ダリルは続けた。
「立ち入ったことを言わせて頂くけれど、あんな男がいるような事務所なんか離れた方が良いと思うわ。もっとはっきり言うなら、あなたベクタに移籍してからロクな仕事もさせて貰ってないんじゃない?挙げ句の果てに、あんなマネージャーにべったり張り付かれてるんじゃ…」
そうだ。
やはり、あの事務所の移籍が女優ティナ・Bのターニングポイントだ。
人気絶頂のタイミングで、業界最大手のベクタへ移籍―――
普通なら益々活躍の場は増え、ともすれば海外進出だって有り得た筈だ。
だが現実は真逆だった。
ベクタ総業は、ティナを囲うだけ囲ってロクな仕事もさせず、ほとんど飼い殺しにしていたのだ。
「悪いことは言わないから、一日も早く辞めるべきよ。あなた確か、まだ二十七歳でしょう?女優としてもこれからうんと活躍できる歳だし―――」
「いえ…良いんです。実は私…女優業はもう引退するつもりだから」
「ええっ!?」
予想外のティナの言葉に、一同が声を挙げて驚いた。
ティナは視線をテーブルの下に落とし、やはりすまなさそうに続ける。
「ケフカさんに叩かれてしまったのも、このことを相談した時なんです。一昨日、このお店から事務所に戻った後に…やっぱり私には、グラビアのお仕事は難しいと。そういうお仕事しか頂けないようなら、いっそ女優は引退させて貰って、別の形で働かせて欲しいということをお願いして…。なかなか承諾して貰えなくて、それでケフカさんと口論になったんです」
俺には分かる。
きっと、それは口論などではなかったのだ。
あのケフカという男はティナの申し出には一切耳を貸さず、怒りのままに手を挙げただけだ。
あの男は完全にティナをモノの様に扱っている。
所有物が言うことを聞かずに癇癪を起こした―――
そんな風にしか思えない。
「口論ねえ…。でも、別の形で働くってどういう仕事なの?事務とか営業とか、そういうこと?」
「いえ。ベクタ総業さんには、懇意にしている飲食店が幾つかあるんです。ガストラ社長が経営されている会員制のラウンジもあって、私も今まで何度かそちらでお仕事させて頂いたこともありましたから。今後は、そういったお仕事に専念できれば」
落ち目の芸能事務所、それも反社との関わりもある会社の息が掛かった飲食店。
社長自ら手を付けている会員制のラウンジで働く所属女優―――
ここから連想されるものは、どう考えてもカタギの仕事ではない。
「それって夜のお商売ってこと!?ダメよ、そんなの!スケベなジジイに良いようにされちゃうんだ!絶対ダメ!」
「十歳のくせに何でそんなこと知ってんだよ…」
突然怒り出したリルムをマッシュが宥めた。
俺もリルムと同じ気持ちだ。
女優であろうとそうでなかろうと、結局ベクタ総業という会社はこの美しい人をろくでもない仕事でこき使おうとしている。
許せない。
到底許すことなどできない。
「どうして、そこまでベクタに拘るの?そんなの、あなたの為には―――」
「そうですよ…そうだ。やっぱりダメですよ、そんなの!」
ダリルの質問を遮り、俺はティナに向かってはっきりと言った。
驚き目を丸くするティナにうっかり見惚れてしまいそうな気持ちをどうにか抑え、深呼吸する。
思いの丈をぶつけるしかない、なぜかそう直感した。
「あなたほどの才能がある人が、そんな会社のせいで女優を辞めるなんて納得できません。十年前、テレビの向こうで活躍するあなたに憧れて、俺は夢を持てた。いつかあなたと同じ世界で仕事がしてみたい、その一心で今日までやって来たんです!なのに、こんな形で引退するなんて……そんなの理不尽だ。有り得ない!」
一度言い出したら止まらなかった。
俺は席を立ち、呆気に取られるティナの側に歩み寄り彼女の手を両手でしっかりと握りしめた。
「お願いです、どうか…引退なんか考えないでください。女優ティナ・Bがまた活躍する姿を楽しみに待っているファンがいるんです!俺は待ちます、いつまででも待ちます!」
場は静まり返っていた。
誰も、何も言わなかった。
俺は我に返り、力一杯握り締めていたティナの手を慌てて放した。
「す、すみません!俺…」
「…いえ……」
戸惑うティナの顔を、もう直視することなどできない。
とんでもない事を言ってしまった。途中から話せば話すほど訳がわからなくなって、とても恥ずかしいことばかり言ってしまった気がする。
「…お熱いね…。熱いのはエドガーだけだけど……」
「うーん、こんなに暴走した兄貴は初めて見たぜ。せめてティナさんの事情をもう少し聞いてから言うべきだったよな」
リルムとマッシュの聞こえよがしなヒソヒソ話が心底恨めしい。反省会は良いから、何か別の話題を振ってくれないか…
「―――オーケイ、今日はもう店閉めるわ!」
ダリルがぽんと手を打ち、朗らかに言った。
それはとんでもなく居た堪れない空気を変えてくれる、救いの助け舟だ。…もちろん、それは馬鹿な俺の為じゃないことは分かっているけれども。
「親睦会しましょ。ねえティナさん、あなたもあんな陰気な事務所で暴力男に張り付かれてたら、息抜きも満足に出来てないんじゃない?」
「それは……そうですね…本当に。お恥ずかしい話ですが…」
「やっぱり。ろくでもない職場環境で一人ぼっちで考え込んでしまうと、良い答えなんて出せないものよ。ちょっと気分転換しましょう」
ダリルは言いながら、カウンターに置かれた店の電話の子機を掴んで番号をプッシュし始めた。
「私の昔馴染みを二人くらい呼ぶけど、口は硬い奴らだから心配しないで。あんまり建設的な話はできないかもしれないけれど、気晴らしにはなる筈よ」
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本当に、ダリルは電話を切った後すぐにファルコンを閉めてしまった。
入り口のガラス扉に下げいていた『本日貸切』の札を『closed』に取り替え、大窓のブラインドも下げた。
時刻は四時すぎ。
そろそろ仕事だからと中座したマッシュは、帰ったら話の続きを頼むよと俺に耳打ちして出て行った。
自分は残ると張り切っていたリルムだったが、いつのも四時半に迎えに来たストラゴスに首根っこを掴まれクソジジイと暴言を吐き散らしながら結局退場した。
ダリルが電話で呼びつけた二人の男は、それから一時間もせずにファルコンに現れた。
ロック・コールとセッツァー・ギャビアーニ。
二人とも、ダリルと長い付き合いのある業界人である。
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