ニッケル㉟
公開 2025/05/06 00:03
最終更新 2025/05/06 00:03
🐾

 足音が聞こえた。軍靴の音ではない。
 その人物――間違いなく事務三本――の顔には目を向けないようにして、俺は奴の足元だけに視線を集中することにした。

 ハイキングシューズ。暗闇の中でその白いソールが近づいてくる。
 もう会話が可能な距離だ。
 俺は意を決して“事務三本”の顔に視線を遣った。

 短く刈り込んだ上品な銀髪。理知的な黒い瞳。六フィートを軽く上回る長身。登山者のような、アウトドア系の服装。年齢は五十手前といったところか。

『あんたが事務三本か……』俺は視線で訴えかけた。
『正解』と事務三本は目礼した。

 事務三本が俺の隣に腰かけてから、しばし沈黙が続いた。真っ当な会話など想定していなかったし、日本語にも期待していなかった。
 俺は右手の中のニッケルを握りしめた。
 さあ来い――――

 先に口を開いたのは事務三本だった。
「Can you see anything?(スパイごっこは楽しかったかね?)」
 “K3”からの引用だ。しかしそれは想定済み。
「Wonderful things(死ぬかと思いましたよ)」
 同じくK3からの引用で返答する。事務三本から笑いを浮かべたような気配が伝わってきた。『ここだ』と俺は思った。
 右手に持ったニッケルを、事務三本の手に向けて差し出す。奴はそれを無言で受け取った。
「Yes, it is wonderful」
 そう言って事務三本は立ち上がり、俺が帰るべき方向とは逆へ向かって、夜の闇の中に溶けていった――――

 すべてが終わってからしばらく経ち、もうすぐゴールデンウィークというあたりで、再び『FLRV』からエアメールが届いた。
 本文には短く『Nice try(惜しかったな)』とだけ書き記されてあった。

 最後に伝えておくべきことがある。
 例のニッケルだが、そのリバティヘッドには『1913』と記されていたのだ。この世に出回った数はわずか五点。その希少性からか、過去には370万ドルで売却されたこともあったという。

 ニッケルの真贋などはどうでもよかったし、もともと手元に残そうとは考えていなかった。

 奴――事務三本の言う通り、スパイごっこの時間は終わりだ。
 俺は普通の大学生であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 さあ、日常――My life――を再開しよう――――
ちわっす
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